国家人権博物館は今年、「2023人権故事車-自由路上」と名付けた学校巡回イベントを実施している。「白色テロ」の被害を受けた当事者などが各教育機関に出向いて自らの体験を語る「ヒューマン・ライブラリー(生きている図書館)」形式の取り組みだ。その一環として「羅東紙廠案(=羅東製紙工場事件、1952年発生)」で死刑となった簡文憲さんの孫で、現在は「大硯劇団」で芸術総監を務める簡嘉彦さんが26日、台湾北東部・宜蘭県の羅東高級中学(=高校)を訪れ、白色テロ時代における祖父の体験と、家族が受けた苦しみの歴史を作品展示へと昇華させた心の遍歴などについて語った。
今回講師を務めた簡嘉彦さんは「白色テロ」被害者の三代目であり、羅東高級中学の卒業生でもある。自身のファミリーヒストリーを紐解くという視点から、祖父の簡文憲さんが「羅東紙廠案」で遭遇した体験に焦点を当て、現代を生きる生徒たちに、地元で発生した「白色テロ」関連の歴史について知ってもらおうと努めた。
「羅東紙廠案」は「簡文憲叛乱案」とも呼ばれる。50人余りが罪に問われ、うち6人が処刑された。いずれも羅東紙廠の従業員とその家族だ。その「首謀者」とされたのがこの地域のリーダー格で知識分子とされていた簡文憲さんだった。戦後、簡文憲さんは生活のため羅東紙廠で警備の仕事に就いた。その後、社会改革という理想を胸に、共産党組織に参加。1952年、国民党政府によって逮捕され死刑となった。45歳だった。家族は当局による追及の手を恐れ、簡文憲さんの遺品をほとんどすべて焼き捨てるとともに、身内が政治に関わることを固く禁じたという。
簡嘉彦さんは、父親が白色テロの歴史に関する書物を読んでいるのを見て育った。また、祖父の簡文憲さんのことも聞き及んでいた。簡嘉彦さんは大人になったあと、家族の苦しみと向き合うことを選び、家族や年配者から積極的に話を聞き、それを記録した。2022年には羅東紙廠があった場所(現在は中興文化創意園区)で祖父・簡文憲さんに焦点を当てた口述と映像の記録を展示する特別展を開催して大きな反響を呼んだ。簡嘉彦さんはこの展示会を「喜、怒、悲、悟」の4つのチャプターで構成して祖父の一生を紹介。簡文憲さんが幼い頃に新しい思想と出会い、社会の旧慣に立ち向かい、そして権威主義の時代にあってもなお強権に屈しない勇気を見せた人物であったことを描き出した。簡嘉彦さんはこうした経験を踏まえ、家族の苦しみと向き合い、家族に深い影を与えた歴史を一つずつ紐解くことで、祖父の生きた証を記録すると同時に、社会にパワーを与えることもできたと説明。羅東高級中学の生徒たちに対して「ファミリーヒストリーを起点として、身の回りの人や物事に関心を寄せ、そこからその歴史や現代に生きる意義を模索して欲しい」と語りかけた。